牧師様からの説教の後、毎回10分程度の校長講話があります。 その中で今回は嬉しい報告がありました。本校1年の男子が下校時に転んで泣いていた小さな男の子の面倒をみていた所、その子のお爺さんから喜ばれ、学校に感謝のお電話を頂戴いました。「是非褒めてあげてください」と朝の打ち合わせで報告があり、学校礼拝でご紹介しました。
会津北嶺2020-11 ―(2021/2/15)
富弘美術館・・・・キリストによる現代の奇跡(三留 謙一)
富弘美術館はキリストによる現代の奇跡です。そして日本の宝です。私にとっては、あの世界的なルーブル美術館より素晴らしい。それは、そこにはイエス・キリストのいのちの光があふれているからです。
星野富弘氏は24才で中学校教諭に。その後、6月24日、クラブ活動の宙返りの指導中、事故で頸椎を捻挫、首から下の運動機能のすべてを失う。しかし、このどん底が彼の出発点。この絶望の日から21年、1991年に郷里の群馬県東村に村立「富弘美術館」が開館。その後、彼はサンフランシスコ、ハワイ、ニューヨークなど、海外の詩画展へと、世界に飛び立った。以下は星野富弘氏のプロフィールです。事故以来、約50年の神の恵みの軌跡、His=Storyです。
――――――――――― 星野富弘プロフィール ――――――――――――――
1946年群馬県東村に誕生。1970年群馬大学卒業後中学校の教諭。同年6月24日にクラブ
活動の指導中に事故で頸椎を捻挫、首から下の運動機能を失う。群馬大学病院に入院、9年に及ぶ。1972年 入院中、口にふでをくわえて文や絵を描き始める。
1974年 病室でキリスト教の洗礼を受ける。1979年、前橋で最初の作品展、9月退院。
1981年 雑誌や新聞に詩画作品、エッセイを連載。4月結婚。
1982年 高崎市で「花の詩画展を開催。以後、国内外で詩画展が開かれる。
1991年 事故から21年、郷里に東村に村立「富弘美術館」が開館。その後、サンフランシスコ、ハワイ、ニューヨークなど、海外の詩画展に出かける。2003年ワルシャワ国立博物館での展覧会に招待出品。2018年末までの美術館総入場者680万人。また詩画展の開催回数は、北海道から沖縄、海外で250ケ所、総入場者は396万人以上。 美術館と詩画展への入場者総数は1086万人を突破。2011年、群馬大学特別栄誉賞受賞。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――このプロフィールの原動力は何か。以下は星野富弘著「いのちより大切なもの」からの抜粋です。
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1.空が変わった 「私が大怪我をしたと聞いて、ある日、大学時代の先輩が駆けつけてくれた。そして後に、『私にできることは、これしかありません。』と聖書を届けてくれた。しばらくそのままにしておいた聖書を、ある日、思い切って母に開いてもらうと、このことばに出会いました。
『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。 マタイ11:28』
・・・・・そのときの私は、先行きが見えない日々に、心が疲れ切っていたのです。最新の医療でも治せなかった自分の身体。助けているくれる人なんているわけがない。それが正直な気持ちでした。しかし聖書を読み返しているうちに、重い心の中に、温かい何かが湧いてくるような気がしました。それまで生きてきて、初めて味わう感覚でした。私はこのことばにしたがってみたいと思った。・・・・・・・・・・
死の淵をさ迷い、障害ゆえにできなくなったこともたくさんあります。でも、
いのちより大切なものに気づくことができた。けがをしたおかげで、この人生ほんの少し得をしたかな・・・・・。そう思っています。
「毎日見ていた 空が変わった。涙を流し友が祈ってくれたあの頃。
恐る恐る開いた マタイの福音書
あの時から空が変わった。空が私を見つめるようになった」
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2.初めの気持ち 事故から生死をさ迷った2年後に、彼は口でペンをくわえて、詩と絵を描くようになる。それがライフワークとなり、多くの人に希望を与えています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「入院中に描いた絵はもう二度と描けないと思います。あの頃は、何も知らず、ただただ一生懸命描いていました。個性豊かな木々や小さい花々を見つめることが、そして、描けることが嬉しくて仕方がなかったのです。
人に見せようだなんて思いもしませんでした。・・よく人に「感動を与えたい。」ということばが聞かれます。でも私は、感動を与えたいと思った瞬間、何か違うものになった気がするのです。絵はその時の気持ちに正直です。入院中に描いた絵は未熟だけでなく、今では色もくすんでいます。それでもあの頃の絵を越えるものは、二度と描けないでしょう。今私があるのは、あの時があるから。今も、もう一度あの時の気持ちを思い出して、絵を描かせていただこうと思っています。」
3.母への感謝
母は回想しています。「私が入院し、人口呼吸器につながれ、高熱にうなされていたとき、自分の体を切り刻んでも生きる力を富弘の体に送り込みたかった。」と。
私はそれほどの愛に応えるすべを持っておらず、何も言うことができませんでした。
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絶望の日々の彼を支えたのは、母と後に奥様となる女性そして
前橋キリスト教会の舟喜信牧師でした。
4.闇から光へ 富弘さんの人生は私たちに大きな希望を与えます。人生のどん底を体験し、そこから復活したからです。イエス様のもとに来れば、誰でも人生再出発が可能だと。
暗闇の中に泣いていた富弘さんに、神は、まず「生きる希望と再出発」を与えました。
次に詩画をライフワークに育て上げさせ、彼を「世界の人々に希望を与える人」に造り変えたのです。これを可能にしたのが前橋キリスト教会の訪問礼拝でした。この礼拝で、彼は聖書のことば(マタイ11:28)のとおりに、
- イエス様のもとに重荷を下ろしました。
- イエス様を心に迎い入れ、イエス様の力をいただきました。
- 口で筆をくわえて字を書き始めました。次に絵と詩を描き始め、それをライフワークに育て上げました。
次は星野富弘さんにふさわしい聖書のことばです。
「イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は、暗闇の中を歩まず、命の光を持つ。」 ヨハネの福音書 8:12」
そして讃美歌533番「くしき主に光」。これも富弘さんにふさわしい。
♪♪(1) (4)
くしき主の光 ここに満つ 愛の喜びは こころに満つ
みそらわたる日の かげにまさる かくてわが歌は ついになりぬ
ああ主よ わが主よ 輝くみ姿を ああ主よ わが主よ 輝くみ姿を
胸に映すとは わが主の恵み 胸に映すとは わが主の恵み ♪♪
God Bless You! 神様の祝福があなたに注がれるように祈ります。
(三留謙一;恵泉キリスト教会・会津チャペル牧師、会津北嶺高校理事)